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私の名前には「奈」が使われているのだが、それがどういう成り立ちで出来ているのか
知りたいと思った。

「漢字の成り立ち」で検索してみたところ、興味ある記述「愛」が出て来たのでご紹介したい。読んでみるとそのとおりだと思う。相手の事を思って切なくなる。心ここにあらずの状態になる、ぼーとして考えるのは相手の事ばかり。
「愛」は「慈愛」にも使われているから、もっと穏やかな温かみのある言わば「人間愛」の
様なものかと思っていたが、もっと激しい心の動きを伴っていたものだったのだ。
「恋」も同時に紹介されているが、それの方が「身をもだえる程の激しさ」がある。
http://blog.goo.ne.jp/kanjikazoku/e/0bf41fd61c81935eecfcfefaaab5e54a

(ここから引用)
は「喜び」よりも「悲しみ」を与えるものだそうだ。およそ愛とは、異常な心の高まりだから、愛の心は必ず「切なさ」を伴うものだ。そして「切なさ」は、むしろ悲しみに近い。
という字は、昔は「旡+心+久」と書いた。今日のという字の下半部は原型のままだが、その上部は旡(カイ・アイ)のひどく変形したものである。このという部分は、アイという発音を示す大切な個所でもある。そこで、旡−既−慨−漑−概など、およそを含むコトバを並べて考えてみる必要があろう。
とは、人間が腹をいっぱいにつまらせて、ウーンと後ろにのけぞった姿である。(中略)
心がいっぱいにつまるのを慨(ガイ)という。怒って胸がいっぱいになるのは憤慨、感動して胸いっぱいにつまるのは感慨という。そして、胸いっぱいの切なさ−それをというのである。それは心の姿だから、の字をそえ、また切なさに足を引きずり、歩みも滞(とどこお)りがちとなるので、足ずりの形をそえた。それは憂(ユウ)の字の場合に、「心+夂」をそえたのと同じ意味である。

もっとも「切ない」のは恋しい場合だけとは限らない。「ああ、もったいない」という場合にも胸がいっぱいにつまる。だから愛情の「おしむ」と訓じるのである。
斉国は偏小なりといえども、吾なんぞ一牛を(お)しまんや!<孟子>
ケチンボじじいが「ああ惜しい」と十円玉を哀惜する心と「あの子恋しや」と切ながる気持ちとを同一視されては、叱られるかもしれない。しかしどちらの「胸いっぱいの切なさ」という点では同じなのである。



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re:「愛」と「恋」(1)|re:「愛」と「恋」(3) re:「愛」と「恋」(2) 投稿者:nothing 投稿日:2003年 3月24日(月)03時29分44秒 つぎに、「愛」。 「胸いっぱいの切なさ」 == 引用はじめ ==  愛は「喜び......
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